bloc:高田馬場流鏑馬


10/12(月)
高田馬場流鏑馬
@関東【都立戸山公園 箱根山地区(新宿区戸山3丁目)】
start 14:00 / close 15:30

流鏑馬とは騎射の一種で、矢つぎばやに射る練習として、走る馬の上から矢で話を射る射技である。平安末から鎌倉時代に武士の間で盛んに行われた。
流鏑馬の奉納される穴八幡宮(西早稲田二丁目十一番一号)は、古くは小社があり八幡山と呼ばれていたが、寛永十三年(一六三六)幕府弓組頭松平新五左衛門直次がこの地に射場を築き、射雲の守護神として八幡宮を奉祀した。同十八年(一六四一)宮守の草庵をつくるため山そそを切り開いたところ神穴が出現し、以後穴八幡と称するに至った。このころ、神木の松から光を放つなど、三代将軍家光に若君誕生の霊告があったため、家光は江戸城北の鎮護となし、諸大名旗本の寄進を得て慶安二年(一六四九)諸堂宇が完成した。
八代将軍吉宗は、各家に伝わる古書を調査せしめ、久しく途絶していた流鏑馬の儀式を制定した。これに基いて、享保十三年(一七二八)世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を高田馬場で行ったのが将軍家奉納の穴八幡宮流鏑馬の初めである。元文三年(一七三八)には竹千代(のちの十代将軍家治)の誕生を祝って興行が行われ、以後、厄除けおよび将軍君若君誕生の祈願にも流鏑馬が奉納された。
高田馬場は、現在の西早稲田三丁目・十二・十四番あたりにあった幕府の弓馬訓練所で、広重が描く「名所江戸百景」にも紹介された所である。
流鏑馬は明治以後中断し、高田馬場も廃されたが、昭和九年五月、皇太子ご誕生奉祝のため穴八幡宮内で再現され、戦前は複数回執行された。戦後は、昭和三十九年水稲荷神社が現在地(西早稲田三丁目)に移ったのを機会に、流鏑馬の古式を保存するため、同神社内において復活し、例年体育の日(現在のスポーツの日)がその実施日となった。昭和五十四年からは会場を近くの戸山公園内に移し、古式豊かにしてしかも勇壮なこの流鏑馬は、年々見学者が増加している。
昭和三十八年三月四日新宿区指定無形民俗文化財に指定され、新宿区を代表する行事の一つになっている。


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